アダムとイブの昔より
 


     6



アンティークな風貌のビルに居を構える武装探偵社は
ちょっぴり穏やかな空気の中で今日という一日をゆるやかに始めており。
昨日に引き続き、今日もさほど難しい案件も入っては来ぬらしく、

 “太宰さんは今日も遅刻なのかなぁ?”

数日前までとある盗難事件を乱歩さんと組んで解決まで導いて、
今はその報告書に取りかかってたはずなのだが、
実地ではあれほど鮮やかに立ち回り、
相手は死に物狂いという級の物騒な乱闘も颯爽と片づける辣腕な人なのに。
どうしてだかそれらの後に必ず控えている事務仕事となると
がくんとその冴えを鈍らせてしまう。
時々その整理を敦も任される資料室に収められた報告書の中には
太宰さんの書いたそれもたんとあり、
今後の勉強にと国木田からも勧められ、何件分かを読んでみたそれらは、
様々な事情が錯綜した難解な事件や、
誰への都合を優先してか公安や軍警が強引に幕を引いたよな案件であれ、
どれも要点を判りやすくまとめた、それはよく出来たものばかりで。
やれば出来るどころか上出来すぎる人だっていうのに、
何でまた普段はああも掴みどころがない人なんだろと。

 “…天は二物を与えずってやつなのかな?”

二物どころの話じゃあなくて、
銀幕のスタァだと言っても皆が信じるほどに風貌も麗しく、知性も充実、
好奇心もそれなりにあるし、それを十分満たすほど観察眼も鋭い。
身のこなしも隙がなくて
人当たりも優しく、だが、叱るときのツボもきちんと心得ていて。
そうまで“出来た”人性の均衡を均すべく、怠け癖という大きな欠陥が付随した人なのか。
それとも、能ある鷹は爪隠すってところかな?と。
空いたままの机を見やって、取り止めなくそんなことを思っておれば、

 む"〜〜〜〜〜ん、と

マナーモードにして机に出してあった携帯端末が、小刻みに震えながら微かな唸りを上げた。
通話の入電ではなくメールの着信で、差出人名は噂をすれば何とやらの、

 “太宰さん?”

今は誰かと組んで任務にあたっている身でなし、
だというに外からの連絡へあからさまに応じるのはちょっぴり憚られてのこと、
資料の複写を取りにと装い、書類と一緒に携帯を掴んで席を立ちつつ、
複写機の陰でこそりと電信の文面を開いてみれば、

 【 敦くん、済まないが ▽▽通りの◎◎まで出て来てくれないか?
  これは極秘任務だから、誰にも言っちゃあいけないよ?】

 「???」

ありゃりゃあ?
もしかして新しい自殺方法を試してみて、
そんな場所で二進も三進もいかなくなったのかな?
でも◎◎って確か交差点が近い遊歩道の休憩場だったよね。
そんなところで自殺もなかろうに…。
ああでもどうしようか。
太宰さんから呼び出されたなんて言えば国木田さんが黙ってないと思うし、
あれ? でも任務ってことは社内の人には言ってもいいのかなぁ?

「ねえ。」「わあ。」

戦闘モード外では相変わらずの優柔不断。
さすがは西のヘタレと呼ばれているだけはある敦少年が、
どうしよどうしよと焦り始めていたところへと、
唐突に、しかもすぐの間近からの声が立ち。
文字通り飛び跳ねて驚いた敦の肩口へ、
背中からおぶさるように凭れかかっていたのは、
当社が誇る叡智の結晶、名探偵・江戸川乱歩さんではありませんか。

「な、な、なんですか?」

途轍もない炯眼の持ち主で、
ほんのささやかな事柄から驚くほどの先読みや推理をしおおせる大天才様は、
冷や汗掻いてた虎の少年の、紫と琥珀の宝石のような瞳をじいと見やっていたが、

「あのさ、今日このチョコレイト菓子の限定版の発売日なんだ。」

その手に摘まんでいたのは、細長いプレッツッエルに薄くチョコレイトが塗布された人気の駄菓子。
楽団の指揮者のようにl細い指先でそれを軽く振って見せると、

「今から買ってきてくれないか?」

公式な宣伝をしてはなかったから、一部の愛好家にしか情報は流れてないと思うのだけれど、
だからこそあんまり店頭にも数を置いてないかもしれない。だから、

 「一日かかってもいいから買って来て。ああそうそう、太宰に手伝わせてもいいよ?」

いつものそれ、猫のような細められ方をした目を片方、ぱちりと開いたため、
小粋にもウィンクしたような見目となった乱歩さんの言いようの中、
随分と多くの含みがあったことのうち、半分も拾えたかどうか。

 「えっと、あの、はいっ。行ってきますっ。」

もしかしてもしかすると、
太宰さんからの呼び出しをそのお使いに紛れさせられそうだと気がついて。
慌てて居住まいを正す白の少年のあまりの素直さに、
通りかかっただけだが何とはなく詳細を敦以上に察したらしい谷崎が、
困ったような、でも、可愛いなぁと愛でるような微笑みで、
外への扉へ向かって駆け出す細っこい背中を見送ったのだった。



      ◇◇


呼び出されたのは最近区画整理をされた広い歩道の一角で。
幹線道路に向いちゃあいるが、
高名な商標が女性の間で一種のステイタスになってるような
その筋で有名な服飾店だの店舗だのが居並ぶ繁華街が近いため、
それへ繰り出す人らを見越した小じゃれた飲食店も多く。
女性へ優しい街並みづくりか、
そろそろ秋の色づきが始まりかけている街路樹の下、
ベンチや陶製のスツールが見目好く配された東屋もどきの空間がある。
平日のしかも午前中だというに、すでに何人かのおめかしした女性らが話の輪を咲かせており、
そんな彼女らの傍らに…やや異様な存在が立っているのが否が応にも視野へと入って。

 “…えっとぉ。”

朝晩は冷えるよになったものの、
そうまでの装備はまだ早いような気がする陽気の中、
砂色の大きな長外套を、前を閉じてのベルトも絞ってという厳重な着方をしている人物で。
だというに、その裾から覗くすらりとした脛脚は、
ストッキングさえ穿いてないらしいつやっつやの生足で、
しかも庭や居まわり用のそれのような質素なサンダル履きでいる。
こっちに向かってだろう お〜いと大きく振ってる腕はどちらかといや華奢で、
振り上げられてる袖がずり落ちて肘まで覗けているのだが、
そこには ややくたびれた包帯がびっしり巻かれ、
一体何処の病院から脱走してきたのだという様相。
元気そうなので退屈を持て余してのそれだろなと周囲は楽観して眺めているものの、
そのような異様さから目をやった人がそのままなかなか視線を外せないのは、
それは麗しい美貌の人だと気づかされるから。
柔らかそうな濃茶の髪を背中にかかるほどまで伸ばし、
前髪やサイドの髪が無造作に顔の輪郭へも掛かっているが、
そんなずぼらさも 却ってふんわりとした印象に溶けて馴染んで愛らしく。
ぱっちりとした双眸が嬉しそうにたわんで形作る笑みの甘さや、
表情豊かな口許が時折見せるいかにも意味深な微笑が、
たまたま目に入った殿方に息を飲ませ、
しかもそれと気づいてちらりと流し目送ったりする悪戯なところとか、

 “そういう悪ふざけ、しかねないかもしれないし人かもなぁ……。”

明らかに自分へと手を振っているその人は、
敦には初見なお人なようだが、そのはずなのだが、
だがだが雰囲気的にあまりにも馴染みがあるよな気がしてならず。
何より、此処へと自分を呼び出したのは誰だったかを考慮するに、

 「だ、ざいさん、ですよね?」
 「ええ。よく判ったねぇvv」

いやいや、いやいや、
疑問符付きで訊いている辺り、ちょっと自信がない敦であるのは明らかだ。
ただ、ご挨拶して不自然でない距離まで近づいてから改めて確認したのが、

「太宰さんの匂いというか、雰囲気がしますし、
 そうまで包帯巻いてる人は滅多に見ませんし。」

虎の異能による嗅覚が、相手をあっさり嗅ぎ分けている。
それに、外套の襟繰りの首周りや、袖から覗く左右の腕とか、
どんな重傷者かと問いたくなるよな包帯まみれも相変わらずで。
だがだが、背の高さも違えば体のラインも違い、
そもそも見るからに雄々しいというタイプではなかったものの、
それでも頼もしいまでに精悍な、大人の男性という印象が満ち満ちていたはずが、
すっかり拭い去られてしまってのこと、
ますますのこと淑やかな麗しさが
ひたひたとあふれんばかりという存在と化しておられることこそ明らかで。

 「何で“女性”なんですか?」

身長も縮んでいるし、匂い自体も女性のそれだし、
ただの女装じゃないですよね それ、と。
困惑を目一杯煮詰めたような、何とも言えない苦渋のお顔を見せる後輩くんへ、

 「うん。あんまり開けたところで詳細までは話せないけれど、
  話が通じる者同士の言いようで明かせば、どうやら異能にやられたらしくてね。」

 「……はいぃい?」

うっかり薄着でいて風邪を拾ったというノリ、
それはそれは あっけらかんと語られたことが、

  いかにとんでもない事象であるか

耳から入ってきた音声が、意味を伴う形となって
頭から胸元とへすとんと落ちるまで、わずかながらに間が要った。
途轍もなく大変なことを、
ほこほこと そりゃあにこやか軽やかに語った太宰だったからでもあるが、

 「何でどうして?
  だって太宰さんて異能無効化できる人ですよね。
  判りやすく目に見えるものだけじゃあない、
  気化したガスみたいな効果のものでも受け付けないって聞いたことありますし、
  困ったことがあったら太宰さんにさわってもらったら何とかなるって、
  芥川といつも言ってますし。」

 「人をおびんずる様のように言わないでくれないか。」

苦笑を浮かべた太宰が持ち出したのは、とある仏様のこと。
お賓頭盧さま と書き、お釈迦さまのお弟子の一人で、神通力にすぐれていたそうで。
そんな由来からか、その像は“撫で仏”ともいわれていて、
けがや病気など自分の悪いところと同じ場所を撫でれば治癒につながるとされているとか。
そんなことまでご存知な、博識で頼もしいお人だというに、
いやあの、それは二の次か。
数多ある異能に関して、大概のものへ“どんと来なさい”と迎え撃てる人だという
そりゃあ頼もしい印象が当たり前のものとして揺るがない人なのにと。
何でどうしてというところへ納得がいかぬか、恐慌状態になりかかった敦くんへ、

 「そのお話もしたいけど、ごめんね、先に用事を済ませていいかな?」

災難をこうむった当事者であるお人が、なのに他人事のように飄々としていなさるのが、

 「……太宰さぁん。」

あああ、なんでこんな時までマイペースかな、
でもでも、これでこそ太宰さんでもあるような。
もしやして非常事態だからこそ、
こちらを不安にさせないよう振る舞ってらっしゃるのかな…と、
妙なところで納得しかかっている、少年探偵だったりもしたのだが。






 「………用事って。あのあの、此処でですか?」

ヨコハマでも指折りなブランドショップ通りの一角にあるくらいだから、
その業界では結構有名なメーカーの店なのだろう。
通りに向いた大きなショーウィンドウも、一見しただけでは単なる婦人服の店というディスプレイで、
今時分にふさわしいだろう、秋向けの装いをお勧めと言わんばかりな
セピア色のストールや軽めのコートを羽織ったマネキンさんが立っている周辺に、
今年の流行らしい型や素材のバッグやブーツがすっきりと飾られているのだが。

 「あのマネキンさんはお着替えの途中でしょうか。」
 「いやぁ、あれで完成形なんじゃあないのかな?」

薄手のオータムコートの下は、
つやつやした生地にレースがふんだんにあしらわれた
キャミソールとペチコートとかいうスリップ姿なのが何ともかんとも。
あられもない恰好ではないけれど、いかにもそういう商品の専門店ですというのがようよう判る、
そう、ここは女性用下着専門のランジェリィショップであるらしく。

「ちょっとややこしい事態になっちゃったことへの段取りは何とかついたんだけど、
 それへの対処にあたって、このままの格好じゃあ行動しにくいんで、
 一時的なそれでいいからってインナーを揃えに来たのだよ。」

腰に拳をあててという どこか子供っぽい動作にて、
何でそこで威張るのか、えっへんと胸を張ったその様子から…敦が薄々察したのは、
男女兼用の衣服では間に合ってないのらしい、太宰嬢の胸元の豊満さ。
成程、これを放置するわけにもいかずで、
胸当てを揃える算段であるらしいと、何とか理解は及んだものの。

「ななな、何でそれにボクが付き添うのでしょうか?」
「だぁってぇ、
 いくら私でもこういったの自分用に購入するのは初体験で心細くってぇvv」

順応力の高さを匂わすほど、そりゃあ愛らしく身をよじってそんなお言いようをしてから、

「女性との交際歴が多くとも、
 贈呈品としてでさえこのやうな意味深なものは購った覚えがない身でね。」

何処の女性歌劇の男役様ですかと問いたくなるよな
無駄に男前な発言をした、今現在は絶世の美女である先輩様へ、
そんな理不尽なと純情少年が真っ赤になって立ちすくみ。

「外で待つって? 却ってさらし者になっちゃうよ?」

何でそんなところは詳しいんですよと、恨みがましげな顔になり。
予防接種を嫌がるワンちゃんもかくやと、
出来ることなら虎化してでもというノリ、踏ん張っていやだいやだとアピールするも、
相手が太宰ではそんな企みも無駄な抵抗で。
すっかり女性に転変しているというに、何でだか“人間失格”は健在なままらしく、

「ほらほらお姉さんの言うこと聞いて。」
「わぁぁああ。」

お姉さんという一言に、
ちょっとした騒ぎになってたのへ何だ何だと集まりかかってた通行人たちも
“なぁんだ”という納得のお顔になり。
打って変わって 気の毒だなぁという苦笑と共に自分たちの目的地へ歩み始める。
髪の色も瞳も風貌も、どこを取っても全く似てはないのだが、
瑞々しくも淑として麗しいお姉さまに負けず劣らず、
少年の方もまた、白銀の髪がちょっと突飛なところながらも、
それへと見慣れれば…
幼さの残る面立ちの甘さへ やだやだと駄々をこねてる利かん気な表情とが、
何故だかトゲトゲしくはなくの可愛らしいと思えるほど。
そんな姉弟だったからだろう、
ゴシックだかアールヌーボーだか優美な曲線でデザインされたドアノブが
からりと涼やかな音を立てて回り、
そこから出て来た制服姿の美人な女性が、にこやかに頬笑んで二人へと会釈する。
もしかして営業妨害だって怒ってらっしゃるかもだぞと、
敦にしか聞こえぬ高さで耳元で囁いた太宰の一言に、さしもの人虎くんも敢え無く沈没。
同伴の方用の待ち合いというものがあって、
猫脚のソファーを勧められ、紅茶なぞ出してもらって
じっと待機だと決めた少年の、この場合は人より無駄に鋭敏なお耳へ、

 「え? 胸ってそんな風に測るんですか?
  一人が後ろから掬い上げて持ち上げて、そうやってカップ数を正確に。ははぁ。
  ひゃあ、何かくすぐったいなぁ…いやあの、はぁあん」

 “うわぁああぁぁああ〜〜〜。///////”

聞きたくもないその筋の情報が耳へと飛び込んでくるわ。
助けを求めるよに見まわした周囲には、
さすがに待ち合い近くとあって
露骨に扇情的なデザインでもあろうパンティーやブラジャーは陳列されてはなかったものの、
ふぅわぁお〜vvという
ピンク色の艶めかしい女性の声での効果音が聞こえてきそうな、
オーガンジーや真珠のようにつややかな化繊へのレース使いも華やかな、
スリップだのペチコートだのといったインナーや、
ベビイドールだのキャミソールだのといったランジェリーの数々が飾られてあるわで…。







      ◇◇



 「おお。敦か。」

やっぱり手前が呼ばれたかと、
芥川の自宅で待ってた恋しい帽子の兄様の姿へ
涙目になってわぁんと駆け寄ってしがみつき、

「なんかいろいろ知ってはいけないこと聞いちゃいましたぁ。」

女性の胸って背中やお腹や二の腕のお肉で出来てるとか、
実は顔はあまり洗わない方が肌質にはいいからと
休日は歯は磨いても洗顔はスルーする人が 女優さんにも少なからずいるとか。
蒸れるのやだけどずり落ちるのは面倒だからという要望に応えて、
ウエストのゴムと腿から下だけという、
側線以外のパンティ部分は無しな珍妙なデザインのタイツがあるとか…。
商品の陳列棚越しとはいえ、男の子もいるというにそんな話題で盛り上がれるなんて、
女性って怖いとすっかり脱力した人虎ちゃんなのへ、

 「……っ

まさか師の艶姿を見たのかと勘違いした羅生門が飛んできたのは、ままお約束と言いますか。

  そして、そんな男性陣へとどめにと落とされた爆弾は、

胸元に余裕のあるスキッパ―シャツに、
突然元に戻っても支障がないよう
ウエストのところどこにゴムが入った膝丈のセミタイトなスカートと
へちま襟の優しい曲線がフェミニンなジャケットという
何処から見てもごくごく自然な20代女性の服装へ着替えて来た太宰が、
ついでにと かかとの低いパンプス履いてコーデュネイトを披露してから、
“ねえ聞いて聞いて”と嬉しそうに放った、

 「何と私、Gカップなんだってvv」

参ったねぇ、そんなにあるとは思わなかったと、
もしかして照れ隠しなのか、
にこやかに笑いつつ、無駄にエイッと胸張って仁王立ちした罪なお人だったそうな。





 to be continued. (17.10.08.〜)





BACK/ NEXT


 *ちょっとサービスの章にするつもりだったんだけれど、
  何か収拾がつかなくなっちゃったというか…。(笑)